文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

コーヒーを飲むようになった

絵画系の本を仕事場の友人Iくんの娘さんに贈ったら、お礼にコーヒー豆を頂いた。事前に「コーヒー好きですか?」と聞かれて「まあ、飲むよ(エスプレッソは)」と応えていた。それでコーヒー豆をくれた。ありがとうございます。

でも、私はエスプレッソではない普通のコーヒーはあんまり飲まない。どちらかといえば紅茶、中国茶が好き。エスプレッソは飲むんだけど [1]海外のレストランで食後に注文するとなんとなくカッコイイ(ハンニバル・レクター教授がフィレンツェのカフェで食後にエスプレッソを飲んでたから) [2] 勢いでエスプレッソを作るヤカン(?)のようなのを買ってしまった(Amazonのセールだった) [3]エスプレッソは偏頭痛に効く都市伝説(カフェインが血管収縮されるらしい) という不純な理由で飲んでいるだけだ。

友人Iくんは私のことを「こだわりの人」だと勘違いしているので、きっとコーヒー飲むならば、コーヒーにこだわりがあるのだろう、コーヒーなら豆だろう、と想像したのだろう。その誤解を解いてもいいけど、誤解されたままでも良い。実害はないからな。

頂いたコーヒー豆は友人Iくんの自宅近くにある焙煎屋でわざわざ焙煎したてのを買ってきてくれたらしい。なのでコーヒーの香りが強烈に素晴らしい。ありがとうございます。この好意に応えるためにも、コーヒー豆ひく装置「コーヒーミル」と「コーヒードリッパー」なる器具をAmazonで注文してみた。合計で3000円ぐらい。

コーヒーミルはカリタの手回し木製のシンプルなもの。上からコーヒー豆を入れて金属製のハンドルをゴリゴリと回すと、下の小さな引き出しにコーヒーが粉になって出てくる。このゴリゴリと回すのがなんとも楽しい。ああ、これは楽しいねえ。回すとコーヒーの香りがする。いい香りだ。

ドリッパーにペーパーフィルターをセットして粉になったコーヒーを入れる。その上からヤカンでお湯をかける。ヤカンもコーヒー用を買ってみた。Amazonで1000円ぐらいの安いものだが、なんだか良い雰囲気で、ちょっと良い気分だ。我ながら単純だ。

出来上がったコーヒーは美味しい。美味しいのだろうが、コーヒーが美味しいというのは、どういう味なのか、実は知らない(昔々ワイフと鎌倉の山奥で飲んだコーヒーが美味しかった記憶があるが、それはきっとその雰囲気に流されていたような気もする)。でも、出来上がったコーヒーを飲んで不味いとは思わないし、ゴクゴクと飲めてしまう。これが美味しいコーヒーなんだろう。それにコーヒーをいれるのがなんだか楽しくなってきた。生きていると色々と新しい発見があるものだ。

これまでコーヒーを飲む習慣が無かったのに。毎日2杯はコーヒーを飲むようになった。それで、友人Iくんから頂いたコーヒー豆は1週間もしないうちに無くなってしまった。コーヒーが無いと寂しい感じになってきたので、横浜そごう地下のコーヒー屋でコーヒー豆を選んでもらって飲んでみたが、頂いたコーヒー豆ほどの味はしなかった。不味い訳ではないが味が違う。これはこれで美味しいコーヒーなんだろう。

コーヒー豆に「そこはかとないスペシャル感」が足りないのでは?と思って、近所でコーヒーの焙煎屋を探してみた。数件あったがコロナ騒ぎで閉店してしまった店もあったが、とりあえず藤沢駅から徒歩圏内にある「豆吉」という店に行ってみることにした。その「豆吉」の向かいにあるラーメン屋は知っているので記憶にはある。行ってみると記憶よりも小さな店で薄暗い感じだが、コーヒーの良い香りがして、店主はなんとなく馴染みのある雰囲気。自分が良く行く渋谷のSun Houseの店員に近いものを感じる。コーヒーのことは良くわからないので、店主オススメの二種類のタイプの違うコーヒー豆を買ってみた。一つは友人Iくんから頂いたのと似た雰囲気で安心感がある。もう一つは今まで飲んだコーヒーとは全く違う、中国茶とコーヒーの中間のような、なんとも不思議なアッサリ感で良い感じ。こういうスペシャル感が楽しい。

気がつけば、仕事場に行く前の忙しい時間にコーヒーを飲むようになった。濃いめのコーヒーに豆乳を入れて朝食代わりにしている。帰宅して夕食後にコーヒーを飲むようになった。これはアッサリ感でストレートで飲んでいる。偏頭痛のときはエスプレッソだ。すっかりコーヒーを飲むようになったなあ。

不要な本を贈ったことが、生活の変化のきっかけになるもんだ。