文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

写真集とカッコイイ写真

図書館にて写真集を眺める。勉強になる。色々と青臭いことを感じ、文字にしてダックノートに記す。恥ずかしいのでココには書けない。

DOGDOGS

DOGDOGS

写真論―荒木経惟写真集

写真論―荒木経惟写真集

ユージン・スミス写真集―1934-1975

ユージン・スミス写真集―1934-1975

東京生活―神山洋一写真集

東京生活―神山洋一写真集

以下は青臭いこと以外に思ったこと。

カッコイイ写真とはカッコイイ音楽は同じなんじゃないかと思ったのである。

音楽を聴いて「カッコイイなあ」と感じるとき、その音楽にはある程度の「お約束」がある。その「お約束」の一例は、簡単なところでは、リズムの2拍4拍にアクセントがあるとか、エイトビートだったり、ボーカルの声質だったりとかする。そして音楽の基本(和音とか)があることが大前提。

写真を見て「カッコイイなあ」と感じるときにも、音楽と同じようにある程度の「お約束」があるはずで、そして写真の基本があるはずなのである。

つまり、何も考えないで自分の声を適当に録音することと、何も考えないでカメラのシャッターを適当に切るということは、同じではないかと思ったのである。その目的が「記録」ならばそれでも良いかもしれない。

しかし、多少カッコイイ音楽を作ろうと思ったら、ある程度の勉強と基本を守ることは大前提だろう。それは写真も同じことで、ある程度の写真の勉強と写真の基本を守ることは大前提なんじゃないかと。

ただ、音楽と違って、ただの記録としての写真とカッコイイ写真の違いが音楽のそれと比べると少ないのかも(分かりにくいのかも)しれないなあ、と写真集を眺めつつ思ったのでした。