文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

作品選び

プリントした写真を眺めて、今月の作品選びを始める。最近は撮った瞬間「とったどぉ〜」と浜口くんのような達成感があるのだが、現像〜スキャン〜プリントと作業を経るにつれ達成感は薄れ、作品の善し悪しで選ぶようにしている。とは言いつつも、全く純粋に客観的に選べるわけではない。この辺の作品選択のプロセスを誰かと共有したいものだ。

写真クラブの中には「先生」を擁しているものも多く、聞いた話では撮った写真全てを先生がみて、その選択のプロセスも皆で共有しているらしい。羨ましいような気もするが、その先生のセンスというか指向、嗜好の影響が大きいような気がする。はっきり言えば、その先生のセンスが悪ければ、得るものは少なく、むしろ失うだけだろう。

というもの、その「センスの悪い先生」らしき方とお会いしたからだ。その先生の写真クラブは郊外の某大型DPE店を中心に活動しているらしく、大型DPE店の奥が作品展示スペース兼たまり場になっている。その店に行くと大抵年配の方が写真談義をしている。その中心になっているのが「先生」らしく、先日は作品講評を行っている場にたまたま居合わせて、その講評を聞くともなく聞いてしまった。

その先生の講評が自分には的外れとしか思えないのだ。隣で聞いていて「そりゃ違うだろ!」と思わずツッコミを入れたくなるほどだ。クラブ員の方々は先生をべた褒めしているが、本心なんだろうかと疑いたくなる。

その展示スペースに先生の作品も10点ほど展示されているのだが、お世辞にもセンスが良いとは思えない。風景、カワセミ、カエル、昆虫などネイチャー系の作品が多く、幾つかフォトコンで受賞しているようだが、自分の目にはどうにも的外れというか面白味が理解できない。カワセミが水面から飛び立つ瞬間の写真は、確かに撮影は大変な苦労を伴うのだろうが、純粋に作品として見ると、正直構図などは良いとは思えない。

自分を省みて「そのカワセミの写真が撮れるのか?」と問われれば「無理」なんですけどね。

その先生の作品を見ていて、改めて写真の難しさが分かったような気がした。その場に行ってカメラを構えてシャッターさえ切れば、誰にでも写真は撮れてしまう。その上で良い作品を作るのにセンスが必要なんだと思うのだ。

写真の見方 (とんぼの本)

写真の見方 (とんぼの本)