文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

周囲が感じる違和感

電車内で何のためらいもなく床に座り込む女子高生に世代のギャップを感じる。ここで、電車内で床に座り込む行動について考えてみる。床は本来座る場所ではない、という概念は一時的に捨てて、他人の迷惑になる場所に座っていない、ことを前提としてみる。

論理的に考えて、特に床に座ってはいけない、という結論にはならない。「どうして床に座ってはいけないのか?」と問われたらなんと答えればよいのか?をクドクドと考えてみる。

すると「違和感」というキーワードがふと頭に浮かんだ。周囲が感じる違和感、本来座るべき場所ではない場所に座っていることに、その周囲に居る人は違和感を感じるのでは?違和感を不快感と言い換えても良い。

つまり、本来座り込む場所ではない電車内の床に座り込むことで、周囲に違和感(不快感)を与えていることになると考えてみた。確かに違和感を感じているかもしれない。そして、周囲に違和感、不快感を与えることが、良いことのはずがない。

この周囲に与える違和感で、色々なことが説明できないだろうか。例えば、電車内での化粧、携帯電話での通話、Note PCの操作なども、周囲に違和感、不快感を与えているのではないだろうか。

ただし、この違和感は慣れによってある程度解消されていくと思われる。例えば、電車内で携帯電話でメールを打つなど、声は出さないが携帯電話を操作しているだけならば、最近はかなり違和感が薄れてきていないだろうか。(移動中にヘッドホンで音楽を聴くこと、所謂ウォークマンも最初は違和感があったと想像する)

若い人は順応性が高いと言われる。新しいことに慣れるのが速いのだろう。なので、慣れが速い若い人はその行動に違和感を覚えないが、慣れが遅い順応性が低い年配の人は、その若い人の行動に違和感を感じるのだろう。反対に年配の人の行動に違和感を感じる若い人もいるだろう。

さらに考えていくと、あえて違和感を自ら演出する自己顕示欲もあるかもしれない。また、あえて従来の様式を捨てて、客観的論理的に考えて得られた結論が、非常に違和感のある事だった場合、人はどう行動するのかも興味深い。。。

とか色々と考え込んでしまって、何を言いたいか分からなくなってしまった。

電車内で床に座り込んでいる若い人は、こんなことを全く考えていないんだろうなあ。