臨場性がもつ暴力性

今週末も相変わらず自粛生活を継続している。緊急事態宣言が解除されたからといって、治療薬もワクチンも無い状態でホイホイと外出する気分にはならない。元々そんなに外出好きではないが。

新宿、渋谷、銀座なども多くの人が戻ってきたようだ。元の日常が戻ったことを喜ぶ人もいるだろう。自分はどちらかといえば人に会いたくないので、元の日常が戻ってしまうことを喜んではいない。新型コロナウイルスが蔓延しているよりはマシぐらいに思っている。この辺の感情を精神科医斎藤環先生が言語化してくれている。

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「臨場性」の価値が、コロナ禍の中で、はじめて全世界的に問われつつある。

① 臨場性は「暴力」である。

② 臨場性は「欲望」である。

③ 臨場性は「関係」である。

 自分は特に臨場性が持つ「暴力性」が苦手なんだろう。その場の空気(暴力的な強制)に合わせなければならない、そのために空気を読まなければならない、その作業にかけるエナジー消費が大きい。また、仕事場の立場上、メンバーに対して暴力性を伴う関係性を強いることになる。自分は極力「暴力性」を伴わない物言いにしているが、立場=上下関係が否応なしに暴力性を孕んだ物言いになっているのだろう。それがイヤだ。

リモートワーク、リモートによるコミュニケーションは臨場性を削ぐことで暴力性を低減してくれているのでは。その辺がリモートワークの気楽さなのかもしれない。

とはいえ、仕事場は、会長の意向なのか知らないが、リモートワークは禁止になった。昭和の体育会気質が強いからなあ。ぼう暴力ありきの世界だもんあ。最も苦手なタイプだよ。