文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

二十数年ぶりの高校

最近色々な学校の説明会やOpen Schoolに通っている。それらの学校を見学していると、自分の高校時代のことをなんとなく思い出してしまうことがある。懐かしさと恥ずかしさと、甘く切ない思いというか感情というか、そういう何かがジワリと染み出してくることがあるのだ。決してこみ上げてくるわけではない、意外と静かな感情の動きというか。。。月並みな表現だがやっぱり「懐かしい」という表現がしっくりくる。

今日は自分の通っていた高校の文化祭が行われているので、午前中にふと行ってみようか、という気分になった。ワイフも体調が良さそうなので、ワイフ同伴で懐かしい母校の文化祭を二十数年ぶりに訪ねてみことにした。高校の最寄の駅に降りるのも二十数年ぶり。駅はすっかりきれいになって昔の面影はない。そりゃ自分が通っていた頃は自動改札さえ無かった。駅前の交番はそのままでチョット安心する。交番の角を曲がって、学校への坂を上る。通りの景色は変わってしまって。。。と、ここで通りの景色の記憶がないことに気付いた。ああ、既に完全に忘れてしまっている。景色が変わったのか?そのままなのか?わからないのである。なのでこの上り坂をあるいてもなんら感情の高まりもなかったりする。何かこう激しい感情の高まりを期待していたのだが、こうもアッサリと忘れてしまっている。そのことが別に寂しい訳じゃないのも、我ながらアッサリした感情に少々拍子抜け。

坂を上って下って正門に到着。正門を抜けて森の中のダラダラ坂を上がると左手に旧体育館があった。まだあった。当時もボロボロだったのに未だにボロボロのままあった。校舎も当時は汚かったが、今も汚いまま。運動部の部室も食堂も汚いままだ。そのままなのだ。

しかし。。。期待したほど「懐かしい」という気持ちにならなかった。文化祭なので学生は盛り上がっているが、それらも非常に客観的に観察してしまう。自分の過去への延長線上に彼らは居らず、娘の延長線上に彼らが居るのである。もはや高校時代の気持ちには戻ることは無い。その当たり前の事実を淡々と実感するのであった。

そうなのだ、学生の彼らは自分が卒業して数年経ってからこの世に生まれてきた人間なのだ。そしてこの学校は彼らのもので、既に自分のものではないのだな。たとえ校舎や旧体育館、食堂が昔のままの姿をしていても、もう自分のものではないのだ。二十数年という時間は果てしなく長い。

そんなことを考えながら、かつて授業をサボって入り浸っていた喫茶店の場所にあった中華料理屋で、ワイフとタンメンをすすっていた。ワイフが隣に居たことで、常に現実を忘れることが無かったのかもしれない。高校時代の友人と一緒に文化祭に行けば、また違った心の動きがあったのかもしれないな。

まあワイフが隣に居ては、昔好きだった女の子のことを思い出しにくいよな!