文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

「可能性」という単語の解釈が違い過ぎて辛い

研究技術開発の仕事をしているので、自分の開発した技術を商品やサービスに導入することが多い。その技術を導入する時に開発系の人と議論するのはそれほど違和感が無いのだが、営業やスタッフの人と議論すると、多くの場合、議論が紛糾するというか、誤解を招くことが多い。自分はなるべく、そうならないように気をつけてはいる。が、誤解を招くこともある。

そういう時は「可能性」という言葉の解釈が、技術や開発の人と、営業やスタッフの人と、大きく違うのが原因であることが多い。

典型的なケースは、営業系の人から「XXXは出来ますか?」という質問を受けると、技術系の人は「そういう可能性もありますね」とか応える。

この時に技術系の人が言う「可能性があります」は、丁寧に言えば「その可能性はあるけど、ほとんど無い。しかしロジックとて全く無い、とは言い切れない。なので、実用上は全く無いと同義、だけど良くわからない」というネガティブな意味での「可能性があります」。

しかし、営業系の人が「可能性があります」と聞くと「ほぼ出来る、なのでお客様に提案してOK、ほとんど大丈夫」というポジティブな意味での「可能性があります」になっていると思う。

この技術系の「可能性があります」と同じぐらい使われるフレーズ「技術的には可能です」も同様で、ほぼほぼネガティブな意味になっている。営業系は「技術的には可能です」をポジティブな意味で捉えている。

ちなみに技術系の「技術的には可能です」は概ね「やってません」という意味です。

最近は営業系の人に説明する時には、明確に「出来ません」「分かりません」と回答するようにしている。まあ、そういう回答すると営業が怒るのだけどね。その怒る理由は「なんでもっと夢のある回答が出来ないんだ?」とのこと。

技術系には夢という単語はねーから。あるのは技術から導かれる事実だけ。