カメラ=万年筆

より引用

# 『海の沈黙』と「カメラ=万年筆」論

1. 1948
年、メルヴィルの『海の沈黙』が登場する。撮影所システムと旧来の疲弊したフランス映画的な様々な約束事から自由なその映画は、後のヌーヴェルヴァーグを予告するものとなった。

2. 同じ年、『海の沈黙』を例に挙げながら「来るべき映画の姿」を論じた
アレクサンドル・アストリュック(1923-)の「カメラ=万年筆 ――フランスの新しい前衛の誕生のために」が「レクラン・フランセ」誌に発表される。

3. 「映画はいま単純に一つの表現手段、すなわち映画以前の全ての芸術がそうであったところのもの、特に絵画と小説がそうであったところのものになろうとしている。市の見せ物、ブールヴァール芝居同様の娯楽、あるいは時代のイメージを保存するための一手段、次々にそうであった後に、映画は次第に一つの言語になる。一つの言語、すなわちその中で、それによって、芸術家がどんなに抽象的であろうが彼の思想を表現し、あるいはちょうど現在エッセーや小説がそうであるように、性格に彼の妄執を翻訳することが出来る。そういう一つの形式である。それだからこそ、私はこの映画の新時代をカメラ=万年筆の時代と呼ぶ。このイメージは正確な意味を持っている。それは映画が次第に、視覚的なものの専制、イメージのためのイメージ、直接的なお話、具体的なもの、それから自分を引き離して、書かれた言語の手段と同様に柔軟なそして精緻なエクリチュールの一手段となるだろうということである。」

4. 旧来の「物語の描写」を打ち破り、「カメラ=万年筆」
camera-styloによる新しいオーディオ=ヴィジュアル言語の発明を唱えた。

5. アストリュックは後に映画監督となる(『恋ざんげ』
51や『女の一生』57など)