文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

政治的な主張をするということ

Facebookは実名で利用するルール(?)になっているので、Facebookがnetwork上のコミュニテイではなく、限りなく現実のコミュニテイと同等になっていると思う。仕事場だったり、大学だったり、高校だったりと、現実にコミュニケーションをとっている/とっていた人達とつながっており、networkだけの付き合いの人とFacebookでコミュニケーションすることは(今のところ)無い。

そういう現実のコミュニケーションの場となっているFacebookで政治的な主張を声高に行う人達がいる。当然、その人達も現実にコミュニケーションをとっている/とっていた人達である。なので、そいった主張は、例えば、仕事場で政治的な主張をするのと同じような影響を私に与えるのである。これはあんまり楽しくない。

仕事場で政治的な主張をすれば、当然、仕事は進めにくくなるだろう。それは、仕事場に居る人は同じ政治的な考えを持っているわけではなく、異なる政治的な考え方を持っている人が居るわけで、そういう中で主張するのは、あんまり上手いやり方では無いだろう。

明日は参議院選挙があるので、今日あたりのFacebookは激しく主張が飛び交うのでああろう。私の居場所はFacebookには無く、ますますnetwork上に居心地が悪くなっているのである。

ところで、声高に主張する方々はリベラル系というか反体制の主張を持つ方が多いようだ。反体制を主張しても良いのはお子様だけだよ。大人は体制側の人間だ。体制が悪いのは大人の責任で、自分の責任なのだから、ただただ反体制を主張するのは無責任だろう。「変えていかなくちゃいけない」とリベラル系の人は主張する。「変えるのは主張している貴方自身」なのだという実感が無いように聞こえてしまう。主義主張では何も変わらない。行動して結果を出すことが求められるのだ。それが大人だ。