文書生活 : TEXT LIFE

文書のある生活

オープンでフラットな検索エンジンが欲しい

今日は雨の予報。家を出るときは晴れていたので、猿号で。。。と考えていたら、「今日は止めなさい」とワイフに先手を打たれた。それは正しい。だが断る。とは言えず、大人しく電車通勤にする。ケータイでGoogle Image Searchを巡る騒動をWatch。私企業が提供しているサービスなので、多かれ少なかれ、その企業の意図が入るのは仕方ない。意図の存在を考慮した上で、サービスを利用する姿勢が求められるのだろう。改めてメデイア・リテラリーの必要性を感じた。

今回のような騒動があると、私企業が提供するのではなく、オープンでフラットな環境の検索エンジンの需要も高まると思われる。非営利かつ政府系ではない、World Wideに検索エンジンを提供。。。理想論に過ぎないのか。難しそうだ。

あるいは、複数の検索エンジンを同時並行で検索して結果をマージするサービス(既にある。CEEK.JPとか)を利用するのか。提供企業の意図が分散していれば理想的だが。

ただ、考えてみれば、一般人が情報を取得する際に、その情報源がオープンでフラットなことは有り得ないのかもしれない。新聞、書籍、雑誌、TV、ラジオなども何らかの意図があって情報が提供されているのだから。書籍に関しては(国内に限定されるが)国会図書館はオープンでフラットなのかも。

検索エンジンがHWを必要とせずSWだけで実現できるならば、OSS的にオープンでフラットな検索エンジンに近い物が出来るかもしれない。しかし、検索エンジンを実現するには巨大なServer群が必要。設置する物理的な空間の必要になる。それらの導入コストだけではなく、運用コストも必要になる。加えてデータ増加に合わせてHW増強も必要になるだろう。オープンでフラットな検索エンジンは実現不可能なんだろうか。

例えば、ネット上にあるコンピュータから少しずつリソースをお借りして。。。なんて実現の方法はないだろうか。はたまたアラブの大富豪が資金を提供してくれるとか。。。。